いまのまま

成功より、今日楽しいかどうか。

個性はちょっとずつ死ぬのかもしれない。と思った。

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まるで遠い昔

ほんの一ヶ月のつもりの帰省。

4月の事。5月には北海道で働く事が決まっていた矢先。

コロナで全てがふきどんだ。

ネットは荒れ、みんなが不安になった。

だけど、自分はラッキーと思ってしまった。

 

5月から働きに行くのが嫌だった。

もうちょっと休んで、読めていなかった本や映画を

自分の時間をもっと過ごしたかった。

 

それからは

給付金やら雇用保険やらで

何だかんだ9ヶ月ぐらい休みになった。

こんな事人生で初めてだった。

 

そして

個性はちょっとずつ死ぬかもしれない。間違いない。と思った。

 

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最近まで地元の凄さも何も知らなかった。

というのも、

毎日自分のためだけの時間が潤沢にあった。何をしてもいい。

逆に言えば、

今まで自分の時間が無さすぎた。

 

普通に働いていたら、朝早くから夜までの自分の時間なんて

なかなかなかったし、

労働時間以外も、疲労や仕事の考え事で

ボンヤリしたり、ただ流れてきた物を消費して

読みたい本もじっくり読み込む間に

また別の読まなきゃいけなさそうな本がやって来たりで

忙しかった。

 

そうなると少なくても自分は

意味のありそうな事や流れて来てものを消費する。

という事に偏っていた。

「個性」とか「自分の好き」は少しずつ削れていったような気もする。

 

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復活

そして

自分の事に使える時間ができて、自分の主体性のようなものが

また少しずつ復活していった!「こういうの今知りたい!」とか

「こんなんめっちゃ好き!」とか。

 

自分は

今まで必要で意味ありそうっぽい事をしたり、

流れて来たものを消費する事も多く。

本当に知りたいことや興味ある事にリーチしていく

時間がなかなかなかった。

 

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とにかくとにかく。読みまくった。

帰省してからは、

とにかく本を読みまくった。

今まで分厚く文字も多く読めなかった本もどんどん読んでいった。

中でも

読んでよかった〜!と思うことは

やっぱり歴史の本だった。

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この本で歴史への好奇心がキンキンになった

まず、前から本屋さんで気になっていたけど

分厚すぎて文字数すごくて引いていたこの本を読んだら

おもしろすぎて、歴史への好奇心が爆発した。

「なぜ今世界には文明の発展に差があるか」

「どうして狩猟から農作に変わって、その事によりなぜ文明が発展したか。」

などなど書かれていて、じゃあそうなる以前はどうやったん?って事で。

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地球ができてから〜

「地球がどうやってできたか」

「地球ができて、どうやって生物が生まれて、人間までになったか」

などなど書かれていて、上の“銃・病原菌・鉄”と歴史が繋がった。

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そしてら、

じゃあその後世界はどんな感じで進んで行って、

日本にどんな影響があったんやろう?

っていう興味が湧いてきてドンドン読んでいって、

だんだん今の自分と繋がって来た。

 

「こんな人がこんな思想を広げて、今があるのかとか」

「この人の政策のおかげで今があるかもしれない」

とかをめっちゃ思ったり、

 

日本って大陸と程よく離れていたりだとか、

大国が内乱してた時期あったり、天災とかなかったら

多分もう日本なんてなかったんかもな、、とか

 

こんな強い人が、ちょっと横暴しただけどすぐ殺されるやん。

好感度大事やなぁ。だから礼節とかあるんかも。

 

宗教めっちゃ国の発展に役立ってるやん。

怪しいだけど思ってた。。とか。

 

今と過去がドンドン線で結ばれていくのが本当に

おもしろかった。

そしてこれからどうなんなの?ってことで。

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今、未来をちょっと知る。

未来と現代に書かれている本や世界情勢の本を読んだり。

自分の今の点を中心にドンドン広がっていった。

 

今までの自分

今までの自分は1989年〜今までのほぼ点だけの事でしか

なかったように思う。

学校の習って歴史も空欄を埋めるためだけに覚えて、

ニュースの事も全てファンタジーだった。

 

どういう世界の経過があって、

今があるのかが何もわかっていなかったし、

ゆっくり休む暇もないと、

そんな事に好奇心が湧く意欲や余裕すらなかった。

 

「今いくら稼がなあかんか。」とか

「昼多めに食べたから、夜少なめに」とかが全てだった。

 

歴史をボクが見ても世界には何の影響もないけど、

意味もないと思うけど、

何かを自分で興味持って、自分で知って喜ぶ。という事が

できたというのが嬉しかったし。

余裕を持った事で、広告で見させられてるとか

そういう事から抜けられた気がした。

誰だってしんどくて、空腹の時に、美味しい料理出されたら

もうそれを食べてしまう。

 

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自分の街

今まで自分の街、堺の事も何も知らなかった。

だから

堺の事を調べるために縁ある千利休を調べたり、

資料館に行って話を聞きに行ったり。

堺がかつて最先端レベルで栄えていた頃の街の資料を見たり

承認たり

商人達の自治都市だった堺と織田信長の関係。

堺の港が貿易で重要な役割を果たしていたとか。

(こんなん習ってたんやろうな笑)

「我が地元、おもしろ!すげー!」と思っていきいきした。

 

「長崎もじゃあ気になってくるなぁ!行こっかな!」とか

今まではパンフレットとか安い旅先で旅行してたけど

好奇心で行き先を考えられるほどになった。

 

ボクは長期休暇で自分の時間がなかったら

こんなに自分の感覚が好奇心が蘇ってきてなかったんじゃ

ないか!と思いました。

 

そして今後働くときは、

うん。考えよう。

好奇心が死なない仕組みと

生活バランスを考えようと思いました。

 

でわでわ。